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写真6 |
ホルダー内部の「じゃがいも」の形をしたのがムーブメント。面積707平方ミリメートル以内というコンクールの規定があり、精度を上げる工夫として大きなテンプを採用したため、このような変形となった。このキャリバー#052が賞に輝く。(セイコー資料館提供) |
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写真7 |
液晶で時間と分を表示し、秒は時間と分の間の:の点滅で表した。今見ても良いデザインである。(セイコー資料館提供) |
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写真8 |
上部センターにセットされたものが腕時計。時計からデータを転送するのでなく、キーボードから住所録、電話帳などを腕時計に転送して持ち運ぶというシステム。(セイコー資料館提供) |
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次に何をやるのか。依田氏は日本で初めての液晶デジタル式腕時計の開発に取り掛かることとなる(写真7)。「セイコーには何人もの電気や半導体の専門家がいたからこそ、このようなジャンルの時計を開発できた」と多くの人は思いがちだが、当時社内にはそのような専門家などおらず、ほとんど手探り状態で研究するしかなかった。依田氏は液晶技術を海外から購入し、生産技術は社内で構築するといった形をとった。実際、第1号機は海外より買ってきたパーツを依田氏自身がはんだ付けし、回路をつくり、それを時計に組み込んで作り上げた。1973年のことであった。
セイコー時代、依田氏は時計事業部長、営業事業本部長といった管理職でも実力を発揮するが、ここではもう一点、開発面での成果を披露しよう。腕コンピューターである(写真8)。これはキーボードから時計にデータを入力して携帯するものであるが、現在はこの技術が応用され、レストランのオーダーシステムとなって活躍している。
依田氏の生活身上は上記にも述べたが、「正面からぶつかり、それをものにし、とにかく1番になろう」という気概である。時代の流れがあったかもしれないが、小学生時代より実地で学び、自身で試行錯誤して研究し、それを成果に結びつけてきた時計一筋の人であった。
07/02/20 |