|
 |
 |
 |
写真2: |
キャリアカレッジでアンクルの働きの話をする小川氏 |
|
|
|
いったい何人の時計技術者を育てたのだろうか。
小川信尚(以下小川氏)の時計技術者育成歴は、ゆうに35年を越える。これまでに小川氏は、10年目にあたるヒコ・みづのジュエリーカレッジ(写真2)で410名、その前のセイコー社時計研究所(写真3)で約500名、東京都時計高等職業訓練校で約100名、総計1000名以上の時計技術者を世に送り出してきた。これに講習会(写真4)を含めれば軽く2000名は超えるだろう。過去に、こんなに多くの技術者を育てた人はそういないはずだ。まるで時計の先生になるために生まれたような人である。
小川氏は、時計技術者の教育にどのようなきっかけで携わることになったのだろうか。父親がセイコーの時計技術者だった影響で、小川氏は小さいころより置時計、柱時計を分解したりして遊んでいたそうだ。そして18歳になると、当然のように第二精工舎(注1)に入社し、部品加工から組立まで手がけた。
一通りの経験を積んだ後、1967年、組立技能研究所で1年間教員になるべくトレーニングを積み、翌年より念願であった教員となる。「念願」と書いたのには理由がある。それは小学生時代にさかのぼるが、えこひいきが激しく、教え方はヘタで、熱意も感じさせない教師を見て、自分は大人になったら熱心な教員になろうと子供心に決心したそうだ。 |