「ユトリロ」という名前を聞いたことがあるだろうか。「そう言えば学校の美術の授業で聞いた名かもしれない」そのくらいが、みなさんの記憶かもしれない。私もそうだった。あるデパートの催事で、ユトリロのモノクロ版画を手に入れるまでは。その版画が写真1で(写真はすべて拡大して見て下さい)大きさは18×22cmだ。
版画展と書いてあったのでちょっと寄ってみたのだが、その中で1枚だけ気に入ったのがこの作品だった。モノクロで、小さな坂道を二人が肩を寄せ合って楽しそうに歩いて行く風景だ。買って一年くらいはそのままに、まぁ放ってあったという方が早いが、2011年暮れ、パリに行くことになって、「そうだ、あのユトリロの絵の現場がまだ見れるかもしれない」と思い、パリにコピーを持参して探してみようと思い立った。なぜなら、通りの名がラブリュボア通りとわかっていたからだ。
パリの地図の索引には、通りの名で引けるページがある。それで見つけようと思ったのだが、地図帳では見つからない。そのうち、ユトリロだからモンマルトルの辺りに違いないと行き着いた。しかしそこまでで、あとはわからずじまい。でもとにかく行ってみようとルーブル近くでタクシーを止め、この通りの名を見せると、直ちに「ウィ」と言って車を走らせた。走ること20分、モンマルトル裏の十字路に停めて横の道路を指さし、「ここだよ」と言った。私は、この道を探すのに、苦労に苦労を重ねて、やっと「あった!」という感激を味わいたかったのに、いとも簡単に連れて来られてしまい、拍子抜けしてしまった。その現場が写真2だ。
絵の右の石の壁も残っているし(絵では白く見える)、多少建物は変わっているが、坂の頂上の画面左中頃のピンクのレストラン、メゾン・ローズ(バラの館)の女の子に聞いても確かにここだと言う(写真3、もちろんユトリロもこの建物を主題に別の作品を描いている)。写真4は写真2のアップなのだが、ユトリロの絵の中央上部、建物の上の帽子のように描いているのが、写真4のサクレ=クール寺院(写真5)の尖塔なのだ。確かにこの道に間違いない。
絵の2人の右にあるのはユトリロ当時のガス灯だ。なぜわかったかというと、ユトリロの時代にはカメラが発達し、ユトリロ本人もよく写真に写っているが、その中の一枚が、新潮社の「ユトリロと古きよきパリ」という本の裏表紙に後ろ姿の淋しそうなユトリロの写真を使っている(写真6)。その左脇に同じデザインのガス灯が半分写っていて、この鋳造のデザインが現場で一致したからだ。
こうして絵と場所に親しんでしまうと、どうしてもユトリロの人生に関心を持ってくる。次号では彼の生涯について語ろう。
【参考資料・写真】
新潮社「ユトリロと古きよきパリ」