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第87号 法隆寺の百万塔 其の二
百万塔の話を続けよう。

もう一度写真1(写真はすべて拡大してご覧ください)を見ながら読んで欲しい。今回は、その制作過程を見てみよう。

前回でろくろ(轆轤)でつくられた回転体だ、と書いたが、そのろくろという機械は図1のようになっている(図も拡大した方がわかりやすいです)。もちろん当時のことだから、木でできている。図1のAの部分に百万塔の材料となる小さな丸太をくわえる。材料は檜や桂といわれている。もちろん、百万塔の最大直径より少し大きい丸太を使う。その丸太素材をBの部分の紐で回転させて、Aの部分にあるCの鉄の刃(バイトと呼ばれる)をあてると木が削れる。

その当時に近い様子が図2で、下にある写真は現在でも行われている木工ろくろの様子だ。

これらの図と写真は大阪にある源正木管工作所のご好意により使わせていただいている。写真2を見るとそのバイトで削った跡が線状になって見えている。少し粗い削り方かなと思ったが、これは胡粉を附着させるためらしい。胡粉とは日本画の顔料の一種で、白く塗りたいとき(描画の小さな人物の顔など)に使われるものであり、貝殻(主にハマグリ)の成分だ。だからこの百万塔が出来上がった時は真っ白であった。その跡が写真3だ。こうやって5ヶ月間で百万個が完成したといわれる。今でもこけしはこのような機械でつくられている。


写真1
<写真1>


写真2
<図1>


写真3
<図2>

<写真2>


写真5
<写真3>

このろくろ(轆轤)は、現在では旋盤と呼ばれ、金属の回転体はほとんどこの旋盤でつくられる。現在の機械パーツは1/100ミリの精度の時計パーツから電車の車輪等まで、この回転体なのだ。金属を加工する基本的な工作機械だが、それはこの木工ろくろが原始的な形であり、百万塔はこのろくろを使った初めての大量生産品といわれている。

前回書いた世界最初の木版経文といい、現在の機械文明を支える回転体を量産したという記念すべき品なのである。実物が見たければ町田の版画美術館にある。また、文京区にある印刷博物館には、この経文と百万塔が展示されている。  

次回はこれがつくられた当時の政治のありさまを書いてみたい。

資料提供 源正木管工作所


11/5/30

(写真をクリックして拡大してみてください。)

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