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第81号 「ゴーギャンの描いたメニューU」

さてゴーギャンの続きだが、写真1(写真はすべて拡大してご覧ください)はまた別の時のメニューだ。

上の方にきつねとカラスが描いてある。これは寓話のイソップ物語「カラスとキツネ」からとったイラストだ。カラスがくわえているのは、輪ではなく丸いチーズだ。それを見たきつねが一計を案じ「カラスさん、カラスさん、その美しい鳴き声を聴かせてくれないか」と言う。カラスはうっかり「カー」と鳴いてしまい、チーズをぽとりと落とす。きつねはすかさずそれを平らげ、「カラスさん、あなたは美声だけど、少し知恵が足りなかったようだね」と言って去った、という話だ。
チーズはフランス料理のコースに出てくるのでこのイラストを描いたのだろう。ゴーギャンがタヒチで描いた力強い画とは違い、水彩画でサラサラと描いたであろう、やさしいタッチがなんともユーモラスで私も気に入っている。

ゴーギャンがタヒチからパリに戻り、ノアノア(Noa Noa)という短編集を書いた。ほんの数冊しか印刷しなかったそうだが、そこに木版で挿絵を入れている。その一枚が写真2だ。これは復刻され、額装してあるものだ。いかにもタヒチらしい、そして木版画らしい画だ。日本でもこれを翻訳した文庫本が2種類出版されている(写真3)。興味のある方は読んでみて欲しい。彼が13歳の娘と結婚したいきさつも書いてある。

なぜゴーギャンがこれほどまでにタヒチに行きたかったのか。1つは、父親の関係で南米ペルーで6歳の時まで生活しており、その後航海士として南米を回ってもいた。その影響も大きい。もう一つの理由は、彼は40歳を過ぎて初めて絵描きで身を立てようと思った。もちろん20歳代から絵を描いていたし、画のコレクションもしていた。また、株屋として成功していたが、大恐慌で株の仕事を辞めざるを得なかった、という話もある。いずれにしてもあのたくましい体つきと顔からは思いつかないような素朴な田舎生活を好んだようだ。

案の定、ほとんどの画家がそうであったように、生前は恵まれず、タヒチに行っている間も友人を頼り、お金を送金してもらっていた。パリに戻ってからも画は売れず、再びタヒチに戻り、最後は近くのマルケサス島で亡くなっている。二度にわたるタヒチ行きも経済的、内面的には幸せではなく、ひどいうつ病にもかかり、前述のノアノア出版後、タヒチで自殺を試みている。心臓病や梅毒にもかかり、結局失意のうちに亡くなった、というのがストーリーだ。
くりかえすが、あの原色豊かな画と彼の風貌からは感じとれない人生であったようだ。


10/10/25


(写真をクリックして拡大してみてください。

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写真1
写真1
写真2
写真2
写真3
写真3





















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