写真1(クリックで拡大します。以後おなじ)を見てください。これは「ペーパーナイフ」です。昔は「紙刀(しとう)」(試しに小さな辞書をひいてみると、もう載っていませんね)と呼んでいました。長さはちょうど35cm、大きさを想像しながらもう一度見てください。かなり大きな紙も切れそうですよね。柄の部分(写真2)のデザインを見てください。大きなうねりで誠におおらかなカーブをつくっています。
素材は黒柿、話によれば柿の木が千本あったとすると、黒柿の木はそのうち3本しかないといわれるほど希少だそうです。色を見るとその名のとおり黒い色が自然と流れていますね。もちろん相当堅い木でしょう。
作者は黒田辰秋という人です。もう亡くなられた方ですが、民芸運動の中心的存在で、数々の伝説の持ち主です。ひとつだけ紹介すると、芸術大学を卒業する時にお金持ちの方に「水屋(みずや)タンス」(食器を入れる大きなタンスのようなもの)を頼まれ、制作したそうです。それを完成するのに3年かかり、請求した金額は、家が一軒建つほどの値段だったという話しです。そのお金持ちとは、京都で一番の甘味屋さん「鍵善」の大旦那でした。大旦那は納得しないまま支払ったのですが、出入りの大工さんに「いくらだったか」と訊かれ、その値段を言うと「それは安い」と言われてようやく納得したとのことです。
今でもみなさんは、この水屋タンスを見ることができます。京都八坂神社近くにある「鍵善良房(かぎぜんよしふさ)」の店の入口右側に今でも置いてあるのです。つくって20分過ぎれば味が落ちると言われる、名物のくずきりを食べながらぜひ見てください。
さて、この紙刀が入っていた箱が写真3です。表書きは「黒柿紙刀」とすばらしい字で書いてあります。上蓋の裏が写真4です。そこに「辰秋作、丈二識(しき)」と書いてありますが、これは辰秋さんの息子 丈二さんが「確かにこれは父 辰秋の作ったものだ」と証明したものです。箱に書いてあるので箱書(はこがき)といいます。箱書の中でも本人が生存中に書いたものが一番確かなものですが、それを共箱(ともばこ)と言います。死後、親族が書いたり、その人物の作品鑑識豊かな人が書いたものがそれに続くのです。
(写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます)
05/02/08
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