さて、このピカソの1900年代の作品を本で調べてみたのが写真2のページだ。左下がこの「抱擁」だが、驚いたのは右上の作品を富山美術館が持っていることだった。他の作品は個人蔵の人の名が書いてあった。その富山美術館の作品が写真3だ。手前に黒い犬、左側に真っ青なドレスを着た女性が立ち、右側の女性はいかにもスペインカタロニアの格好をしている。よく見ると中央に小さく馬に乗った闘牛士が描かれている(拡大して見て下さい)。その奥の円形の建物は闘牛場だ。それでこの作品のタイトルは、「ブルリング」闘牛場の入口となっている。バルセロナで1900年ピカソ19歳の時の作品だ。写真4はこの絵の解説だ。その5行目に、Zervos ]]T、145と書いてある。これは、ピカソのゼルヴォスというカタログレゾネだ(ピカソの全作品が載っていて、どの絵といったらこの番号を言えばわかる、という本だ)。それの21巻目の145番目に載っているという意味だ。その下に、Toyama(富山)近代美術館、と所蔵場所が書いてある。
さて、私がサンクトペテルブルグを訪問したとき、エルミタージュ美術館と手前の赤の広場を描いた油画を買った。それが写真5だ。後ろの二つの建物がエルミタージュ美術館で、手前が赤の広場だ。当時で一万円だった。何しろ当時はソビエト連邦が崩壊し、ロシアになったばかりだった。人々は貧しくとも国家から給与をもらっていたのに、急に自分たちで稼がなくてはならなくなったのだ。駅の地下道では家庭の奥さんたちが自宅のあらゆる物を持ち出して、棒立ちになって売っていた(写真6)。食器や小さい家具はもちろん、子猫や犬まで、皿に入れて売っていた。売る物のない二人の女性は(写真7)、合唱して小遣いを稼いでいた。ものすごい美声でクラシックを歌い、きっとそれ相当の音楽大学の声楽科を出たとわかるほどだった。この写真は1998年、今から16年前だが、現在あの人々はどうなったのだろう。