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第77号 「マチス『金魚のヘラヘラ絵』その2」

前回のマチスの絵が写真1だ。このヒココラムを見て、前回提案した自分で描いてみることを実行してくれた人が何人もいた。学校の学生、大阪校の講師、そして学外の金融機関の方などだ。私がいつもいう実際の行動が大切ということを、身をもって知っている方が多いなと感じた。

さて、この絵の知識的な面を書いてみよう。この版画はマチスが60歳、1929年に描かれたものだ。マチスはピカソと並ぶ近代絵画の巨匠で、二人は親友といわれていた。ピカソはあれだけ革命的な絵の変化を遂げたのに、マチスは終生「自分の絵は安楽椅子のようでありたい」と言っていた。この言葉をかみしめて、写真1のマチスの絵を見直すと、とてもよくわかる。

写真2はピカソの革命的な作品「アビニヨンの娘たち」だ。このタイトルは変な日本語訳で、描かれているのは決して普通の娘ではなく、バルセロナのアビニヨン通りの娼婦たちだ。今でもこの通りは同じ名で呼ばれている。私もここに行ってみた。両側に古い高い建物の並ぶ、細く曲がりくねった道だった。ここの娼婦たちであることを知っていると、少しはこの絵が理解できる。

現在、この絵はN.YのMOMAに展示されており、間近で見ることができる。私も何度も見たが、なぜ歴史的な絵画なのか今もってわからない。美術館のボランティアのおばさんは、この美術館の中で一番好きな絵だと言っていた。しかし、この絵をピカソのアトリエ(モンマルトルの洗濯船)で初めて見せられたマチスでさえ、「これでピカソも終わりだ」と思ったそうだ。

さて、マチスについてこれだけ知ったのだから、この絵を好きにならなければならないということはひとつもない。本校のクラスで私が聞いてみても、大好きだと言ったのは1クラス1人くらいだ。しかし、講師たちだと3人に1人くらいは好きだという。こういう絵を描きたくても描けないことをわかっているからだ。

私も30代ではこの絵のよさはわかっていなかった。しかし今、60代になるとしびれるほど好きだと言ってしまえる。それだけ、私の世界が広がったといえるだろう。この体験は本校の学生にもして欲しいと思っている。これはいくらお金を積んでも買えない財産だからだ。

10/6/24


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写真1
写真1
写真2
写真2





















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