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第44号 「十字架にこめられた想い」

今回は、コンテンポラリージュエリー作家・伊藤一廣氏と彼の心の師・渡辺英俊氏との関わりについてお話したい。
渡辺氏は現在、横浜の寿町という街で社会の最下層におかれた人々と問題を共有しながら牧師をしている。伊藤氏もキリスト教に深い造詣を持っており、以前の渡辺氏の教会にも通っていた。これが二人の出会いである。

1984年、渡辺氏はペンネーム「たなべしゅん」の名で小説「場の顔」を出版した(写真1)。この本を装丁したのが伊藤氏であったのだが、両手を広げた男女の後ろ姿の重なりが十字架に見えるように構成して欲しいという要望に「人間の手というのは広げてみると思ったより長くて、あまりきれいな十字架型にならないんですよ。」と苦慮しながら作成していた。

のちに伊藤氏は「心象としてのイコン──渡辺英俊によせて」という作品を残している(写真2)。写真3に見られるように、イコンのコピーをケースの下敷きにし、その上に十字架等(これらは割り箸をブロンズや、金で鋳造したりした)を木箱の中に配したものだ(写真4)。

渡辺氏は作品に対してこう述べている。
「ほとんど廃材を思わせるような古材の板で作られたこれらの箱は、世の片隅に追いやられた人びとが生きている場を象徴していると私には思える。底に貼られたイコンや現代の断片を暗示する写真は、そのような場では命を失っている宗教的伝統や現代文化を、皮肉をこめて映したものと思う。そういう世界に、十字架とは見えない十字架群が散りばめられている。それは、匿名のキリストの影を映して生きる人びとを暗示するものであろう。「渡辺英俊」は、たまたま彼の視野の中にいた、そういう一人に過ぎない。今、彼が生きていたら、私は彼にこう言うだろう。
「伊藤君、君はずるいよ。『イエス・キリスト』と素直に言うのが照れくさいもんだから、手近な僕の名前を使って誤魔化したね。」
と。そしたら彼はきっと、にやっと笑って、
「バレましたか。」
と答えるだろう。そんな会話をしたかったと、今、切に思う。」

そして氏はこうも述べている。
「この作品で、彼が様々な形の十字架を造形している潜在的な背景の一つに、本を装丁したときの苦心が影を落としているのかもしれない。」

<参考>
日本キリスト教教会なか伝道所HP
http://homepage3.nifty.com/eishun-naka/index.htm

エッセー「ジュエリーアーティスト 伊藤一廣君の思い出
(2007.4.16)」


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07/06/19

 

写真1
写真1

写真2
写真2 

写真3

写真4
写真4


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