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第43号 「黄金の小判」

今回は江戸時代の文政時代に発行された小判を紹介したい(写真1)。小判には様々な刻印や模様が打ってあるのだが、これらを解読していくと私たちにとって親しみやすいものになってくる。

大きさは6.1×3.2cm、厚みは一定ではなく場所によって0.5mm〜1.0mmとなっており、小判の上下には「五三桐(ごさんのきりと読みます)」という家紋が打ってある(写真2)。これは花が中央の花柄に五つ、左右の花柄にそれぞれ三つあるという意味で、幕府から小判の発行を一手に任されていた後藤家の家紋である。

また、家紋に挟まれるようにして中央に「壱両(写真3)」、「光次(写真4)」と草書で刻印されているが、「光次」とは金座の長であった後藤庄三郎光次を意味している。また、横の線が全体に刻まれており、ござ(井草の敷物)にちなんで「ござ目」と呼ばれ、タガネでこの線を打っている。裏(写真5)には「堺」という金座の役人の苗字や職人の名前を示す「七」の刻印、後藤家の花押(かおう)がある。

写真6は江戸の金座における小判製造作業を描いた絵巻物で、職人たちが小判を作っている様子を描いている(注1)。現在の日本銀行はこの金座の跡地に建っているのだ。

江戸時代の「両」の下の通貨単位は「文」であり、4000文で1両だった。おそばが16文であったので、1両で250杯食べることができたのである。現在の貨幣価値でおそばを500円とすれば125,000円に値するので、この小判の価値がお分かり頂けるだろう。写真7はこの小判の鑑定書であるが、こういったものが付いている物と付いていないものがあるのだ。

当時は小判を改鋳しては金の含有量を少なく量産していたので、この小判は13Kとだいぶ金の割合が少ない。現在の金の価値に直すと約2万円ほどでしかないが、「歴史というフィルターをくぐってきた」というお金に換算できない価値が小判の中にこめられているの
である。

私も色々なアンティーク作品を見るが、この小判ほど触って当時の様子を感じられるものはない。というのも200年前の人々が実際に触り、生活に使っていた事がひしひしと伝わってくるからである。そしてそれがこんなに時代にまで残っているのは「金」という素材
の力であるのだ。

(注1) 日本銀行金融研究所発行 『日本銀行研究所 貨幣博物館』(1987) 「金座絵巻 端打場」より転載。


(写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます)

 

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07/05/31

 

写真1
写真1

写真2
写真2 

写真3

写真4
写真4

写真5
写真5

写真6
写真6

写真7
写真7




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