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第34号 「伊藤一廣のペンダント」

今回は、日本のジュエリーアーティスト伊藤一廣氏を紹介しよう。
彼ほど、いろいろな意味で日本のジュエリー界に刺激を与えた人はいない。また、彼ほどヨーロッパで日本のジュエリー作家として知られている人もいない。その伊藤の作品の一つを紹介しよう。

写真1(画像をクリックすると拡大します)だ。この白大理石と銀の作品についてこういう話がある。伊藤が精神的に行き詰まって、何も作れなかったとき、彼の心の師、渡辺英俊氏が、作品について詩のようなものを書いた。以下がその文だ。


     
たなべ しゅん(渡辺氏のペンネーム)

一応装身具として造ったと贈り主は言う。接着剤で重ね合わせただけの2つの輪。
女性の小指ほどの太さの銀と大理石による、幾何学的な二重奏。

なぜか、銀の1ケ所がカオスの未練のように撓んで(たわんで)、大理石に添うのを拒んでいる。

こんなに置き所のないものを私は知らない。デスクでは紛らわしく、引き出しでは忘れ易く、壁にぶら下げても様にならず、服に着けたら破れそうだし、もとより額や宝石箱に納まるしろものではない。

一週間かかった。それはほとんど発見と呼んでもいい。この物がそこに向けて造られた・・・、いや、この物がそこから生まれて来た、この物の本来あるべき場所が1つだけあったのだ。それは、ホレ、この私のてのひらの上なのだ。 
(1984.2.4)


この作品は、ペンダントなのだが、持ってみると異常なほど重い。ペンダントとしては使えない。置き所がないとは、まさにその通りだ。リングの銀パイプのくびれを「カオスの未練のように撓んで、大理石に添うのを拒んでいる。」と言い、最終的に「私のてのひらの上」がその置き場だとは、なんとも優しい。このように作品を文章で表現できる人に、出会ったことがない。

実は、伊藤と私は10年間ヒコで一緒に仕事をしてきた。1997年に48歳という若さで他界したが、彼の作品と率直な人柄は実に強烈な印象だった。そのことを2007年に出版する私の本につぶさに書いたので読んでほしい。また、彼に詩を贈った渡辺氏は、現在横浜の寿町というドヤ街(東京の山谷に当る)で、その日暮しの人々と共に生活しながら牧師をしている。そのドヤにいる人のことを氏は「結局人のよすぎる人なんですよ。人にゆずっているうちに自分が世間からはみ出てしまったのですよ」と言う。さすが、伊藤の師となる方の言葉だ

(写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます)

06/06/19

写真1
写真1

 
 

 
 




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