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第33号 「黒田辰秋の金輪寺茶器」

お茶の世界には茶器というものがある。茶道具のひとつで、お茶を入れる容器だが、ここでは普通私たちが飲む茶葉の煎茶入れではなく、抹茶(お茶の葉を粉末状にしたもの)入れだ。しかも分量を多くいれる容器ではなく、茶会で客に出す抹茶の分量だけ分けて、小さな器に入れるものだ。その一つに、金輪寺(きんりんじ)と呼ばれる茶器がある。

写真1写真2がそれだ。高さは8cm、直径は7cm。両方の手でおさまるほどの大きさだ。実はこの材料、蔦(つた)なのだが、直径を見ればわかるように、こんなに太い蔦があるのかと思うほど太い。そして持ってみると軽い。

これがなぜ金輪寺とよばれるようになったのかというと、起源は南北朝時代(鎌倉時代と室町時代の間)にさかのぼる。南朝を吉野山に起こした後醍醐天皇が、仏教の一字金輪の法を修めた時、僧衆に茶を給うため、山中の蔦の古株で茶器が作られたという伝説がある。この茶器は、足利義政が所持し、その後戦国時代の将軍義昭から織田信長と伝来されたと言われている。それを見た黒田辰秋(第18号「黒柿の紙刀」参照)が、自分でもつくってみようと思い立ったのが20歳頃だった。しかし、気に入った素材はなかなか見つからなかった。30年後にようやく材料にめぐり合い、作ることができたと言われている。

さて、吉野は桜で有名だ。上千本(山の上)中千本、下千本が山のすそより咲きあがっていく様子はまた格別だ。吉野に行かれる方は、この金輪寺桜が今でも存在しているので訪問してほしい。写真3は、ある年の吉野の桜見学だ。

気軽にこの黒田辰秋の作品にさわれるところがある。京都の百万遍にある喫茶店「進々堂」だ。昭和5年(1930年)創業という古い歴史をこのお店では、黒田辰秋が作った分厚い樫製のテーブルとイスが使われている。京都大学のそばということもあり、かつてノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏もよく出入りしていたそうだ。京都散策の際に、ここでコーヒーを飲んで一息つくというのも、なかなか良い。もう一つ、八坂神社近くの「鍵善良房」の入口にも黒田辰秋の作った水屋ダンスがある。詳しくは、学校長のコラム第18号「黒柿の紙刀」を見てほしい。

「進々堂」
京都市左京区北白川追分町88
Tel:075-701-4121
アクセス:市バス「京大農学部前」下車徒歩5分
       京阪本線「出町柳」下車徒歩10分
営業時間:8:00〜18:00
定休日 :火曜日

(写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます)

06/05/23

写真1
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写真2
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写真3
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